羅序

『紫微斗数全書』巻一・賦文・諸星問答と格局・原文と現代語訳

はじめに

〈羅序〉は『紫微斗数全書』巻一の冒頭に置かれた序文で、署名は「賜進士及第吉水羅洪先」、明の嘉靖庚戌の年(1550年)三月十六日に書かれています。羅洪先は江西の吉水の人で、嘉靖八年の状元(科挙の首席)です。のちに官を辞して学問を講じました。

序文は書物を得た経緯を語ります。羅洪先は功名富貴には命があると信じ、官職を辞して各地に道を訪ねました。華山に着き、陳希夷がかつてここで道を得たと聞いて山に登って祠に参り、下山しようとしたところで二十歳前後の道士に出会います。道士が「希夷公紫微斗數集」を取り出し、羅洪先ははじめ星の並べ方がわかりませんでしたが、論を読み、断語を味わい、さらに自分の生まれで試してみると「果毫髮不爽」でした。そこで大いに感嘆し、この書を公にして、世の人に命を知ってそれを素直に受けさせたいと言います。最後に、その道士が陳希夷の十八代目の子孫で、道号を了然といい、二十六歳であることが記されます。

この篇を読むときに知っておきたいことが二つあります。一つ目は、これが全書を陳希夷に託す由来の説明であり、本文には著者の署名がないということです。二つ目は、序文の要点が「知有命而順受之」にあり、これが全書の巻頭の姿勢だということです。

1嘗聞命之理微,鮮有知之真而順受之者,余謂功名富貴,有命存焉,遂捐厥職,訪道學者,以為之宗,行抵華山下,詢知希夷公,曾得道於茲矣。因陟其巔,謁其祠,將返,見一道者,年須弱冠,態度老誠,遂進禮。

書き下し嘗て聞く、命の理は微にして、これを知ること真にしてこれを順受する者有ること鮮し、と。余謂えらく、功名富貴は命の存する有り、と。遂に厥の職を捐て、道を学ぶ者を訪ね、もってこれが宗と為し、行きて華山の下に抵り、詢ねて希夷公の曽て道を茲に得たるを知る。因りてその巔に陟り、その祠に謁す。将に返らんとして、一道者を見る。年は弱冠を須ち、態度は老誠なり。遂に進みて礼す。

現代語訳わたしはかつて、命の道理はとても精妙で、本当にそれを理解し、しかも命に従って受け入れられる人はめったにいないと聞きました。わたしは、功名も富貴もすべて命の中にあると考え、そこで官職を辞し、道を修める学者を訪ねて師と仰ごうとしました。華山のふもとまで来て尋ねると、陳希夷がかつてここで道を得たと知りました。そこで山頂に登り、その祠に参拝しました。帰ろうとしたとき、一人の道士に出会いました。年は二十歳ほどに見えましたが、態度は老成して落ち着いていました。わたしは進み出て礼をしました。

捐厥職
捐は捨てる、厥は「その」。自分の官職を辞すること。
希夷公
陳摶。五代から宋初の道士で、宋の太宗から希夷先生の号を賜りました。華山で修道したと伝えられます。
陟
登ること。
年須弱冠
弱冠は男子の二十歳。「須」の字は意味が通りにくいのですが、年はおよそ二十という意味です。文末では二十六歳とされています。
解説

序文はまず一つの前提を立てています。功名富貴には「有命存焉」、つまり命がある、ということです。これは全書の基本的な立場であり、作者が官を辞して道を訪ねた理由でもあります。この段を読むときに知っておきたいのは、「華山を訪ね、道士に会う」というのが、昔の術数書によくある書物入手の語り方で、伝承に由来があることを示すためのものだという点です。陳希夷(陳摶)は実在の人物ですが、紫微斗数が本当に彼の手によるものかどうかは、現代の研究者の多くが疑っていて、全書は明代に編まれ、希夷の名に託されたものと考えるのが一般的です。序に署名した羅洪先も実在の状元ですが、この序が本人の手によるものかどうかにも議論があります。これらは内容の価値を損なうものではありませんが、「希夷から伝わった」というのは伝説であって史実ではないことは、知っておいたほうがよいでしょう。

✎ メモ

2承出書示予,予問之,曰︰「希夷公紫微斗數集也。」始觀排列星辰,猶不省其奧窔,既讀其論,論則有道理。玩其斷,斷則有神,即以賤降試之,果毫髮不爽。於是喟然歎曰︰「造化至玄而闡明之,若對鑑焉。

書き下し承けて書を出だして予に示す。予これを問えば、曰く、「希夷公の紫微斗数集なり。」と。始め星辰を排列するを観るに、猶おその奥窔を省らず。既にその論を読めば、論はすなわち道理有り。その断を玩べば、断はすなわち神有り。即ち賤降をもってこれを試みるに、果たして毫髪も爽わず。是において喟然として歎じて曰く、「造化は至玄なるに、これを闡明すること、鑑に対するがごとし。

現代語訳道士は一冊の書を取り出してわたしに見せました。何の書かと尋ねると、「希夷公の紫微斗数集です」と言いました。はじめ書の中に並べられた星を見ても、その奥深いところはまだわかりませんでした。しかしその論を読むと、論にはどれも筋道がありました。さらにその断語をじっくり味わうと、断語は不思議なほど当たっていました。そこで自分の生まれた時で試してみると、果たして髪の毛一本ほどの狂いもありませんでした。そこでわたしは深くため息をついて言いました。「天地の造化はこの上なく玄妙なのに、この書はそれをはっきりと説き明かしていて、まるで鏡に向かっているようだ。

奧窔
家の奥まった隅。深くて理解しにくいところのたとえ。
賤降
自分の誕生日、生まれた時をへりくだって言う語。
毫髮不爽
髪の毛一本ほどの違いもないこと。
解説

この段に書かれているのは一つの学びの道筋で、今紫微斗数を学ぶ人にもよい参考になります。まず星の並べ方を見てもわからず、次に論を読んで筋が通っていると感じ、さらに断語を味わい、最後に自分の生まれで確かめる、という順序です。これはちょうど斗数を学ぶ順序そのものです。まず命盤の組み立てを学び、次に〈太微賦〉のような総論を読み、それから各星の断語を読み、最後に自分の盤に戻って照らし合わせます。「毫髮不爽」は序文によくある褒め言葉なので、保証と受け取る必要はありません。けれども「自分の命盤で試す」という方法はとても堅実です。星格で自分の命盤を出し、全書の断語を一つずつ照らし合わせることが、いちばんよい入り口です。

✎ メモ

3非心涵造化,能之乎?星辰至遠,而指視之若運掌,然非胸藏星斗者,能之乎?天位乎上,地位乎下,而人則藐然於中者,先生則以天合之人,人合之天,即星辰之變化,而知人命之休咎,是非學貫天人,而一之者,又孰能之乎?猗歟休哉!先生真高人也,神人也,不然胡為乎而有是高志!又胡為乎而有是神數也!」予乃捧持之,遍示天下,俾世之人,知有命而順受之可也。

書き下し心に造化を涵すに非ずんば、これを能くせんや。星辰は至って遠きに、これを指視すること掌に運らすがごとし。然れども胸に星斗を蔵する者に非ずんば、これを能くせんや。天は上に位し、地は下に位して、人はすなわち藐然として中にある者なるに、先生はすなわち天をもってこれを人に合わせ、人はこれを天に合わせ、星辰の変化に即きて、人命の休咎を知る。是れ学、天人を貫きてこれを一にする者に非ずんば、又孰か能くこれをせんや。猗歟休なるかな。先生は真に高人なり、神人なり。然らずんば胡為れぞこの高志有らん。又胡為れぞこの神数有らんや。」と。予乃ちこれを捧持し、遍く天下に示し、世の人をして命有るを知りてこれを順受せ俾むれば可なり。

現代語訳心に天地の造化を包みこむ人でなければ、こんなことができるでしょうか。星はこの上なく遠いのに、それを手のひらの上で転がすように指し示しています。胸の中に星を蔵している人でなければ、こんなことができるでしょうか。天は上にあり、地は下にあり、人はその間にちっぽけに置かれています。先生は天を人に合わせ、人を天に合わせ、星の変化から人の命の吉凶を知りました。学問が天と人を貫き、両者を一つにした人でなければ、ほかの誰にこんなことができるでしょうか。なんと見事なことでしょう。先生はまことに高人であり、神人です。そうでなければ、どうしてこれほど高い志を持ち、どうしてこれほど神妙な数術を持てたでしょうか。」わたしはそこでこの書を捧げ持ち、天下に広く示して、世の人に、人には命があることを知らせ、それに従って受け入れさせればよいと考えました。

運掌
手のひらの上で転がすこと。たいへんたやすく、はっきり見えることのたとえ。
休咎
休は吉、咎は凶。
猗歟休哉
感嘆の言葉で、「なんとすばらしいことか」という意味。
解説

この長い段は感嘆の言葉で、中心にあるのは天人合一、つまり天と人を一つに見る考え方です。天を人に合わせ、人を天に合わせ、星の変化から人の命の吉凶を見る、というものです。斗数で使う星の多くは虚星で、実際に空に見える星ではありません。ですから「星辰至遠」が指しているのは一つの象徴の体系であって、天文観測ではありません。段の終わりの「知有命而順受之」が序全体の主旨です。「順受」は正確に読む必要があります。消極的にあきらめることではなく、まず自分の命を知り、それに沿って人生を組み立てる、ということです。今命盤を読むときも同じ姿勢です。自分の長所と弱点をはっきり見て、よい時機によいことをするのであって、命盤を言い訳にするのではありません。

✎ メモ

4胡乃祖作之,而子祕之,則繼述之道安在哉?請志予言,以弁是書之首。時陳子去希夷公,一十八代,諱道號「了然」,年方二十有六。

書き下し胡ぞ乃の祖これを作りて、子これを秘すれば、すなわち継述の道安くに在らんや。請う、予が言を志して、もって是の書の首に弁せよ、と。時に陳子は希夷公を去ること一十八代、諱は道号「了然」、年方に二十有六なり。

現代語訳(わたしは道士に言いました。)「どうしてあなたの祖先がこの書を作ったのに、あなたはそれを隠しているのですか。それでは祖先の事業を受け継ぎ伝える道はどこにあるのでしょう。どうかわたしのこの言葉を書きとめ、この書の最初に序として置いてください。」このとき、この陳氏は希夷公から数えてすでに十八代目で、道号を「了然」といい、年はちょうど二十六歳でした。

繼述
先人の志を継ぎ、先人の事業を伝えること。
弁
前に置くこと。弁は昔の冠で、そこから書物の前の序の意味になりました。
解説

この段は書物の由来を記しています。道士の了然は陳希夷の十八代目の子孫で、羅洪先は先祖伝来の書を公にするよう勧め、そのやりとりを序にして書の前に置きました。これが全書の「家伝の秘本」という説の出どころです。注意しておきたいのは、陳摶は修道の隠者で、子孫が代々続いたという記録は史料になく、「十八代」という話は確かめようがないことです。後世の多くの人は、この段を昔の権威に託す書き方と見ています。版本の面から見ると、今伝わっている全書は明・清の刊本で、誤字や重複、前後の食い違いが少なくありません。本サイトでは校勘の注で一つずつ示していますが、これもこの書が多くの人の手で編まれたことを裏づけています。

✎ メモ

5時嘉靖庚戌春三月既望之吉 賜進士及第吉水羅洪先撰

書き下し時に嘉靖庚戌の春三月既望の吉、賜進士及第、吉水の羅洪先撰す。

現代語訳時は嘉靖庚戌の年、春三月十六日の吉日。賜進士及第、吉水の人、羅洪先が記す。

嘉靖庚戌
明の世宗の嘉靖二十九年、西暦1550年。
既望
旧暦で毎月十五日を望、十六日を既望といいます。
賜進士及第
殿試で一甲(状元・榜眼・探花)に合格した者の称号。羅洪先は嘉靖八年の状元です。
解説

署名の日付は明の嘉靖二十九年(1550年)三月十六日です。この年は全書の成立年代を考えるうえで大事な手がかりで、序文が信用できるなら、全書は遅くとも明代中期には形になっていたことになります。「賜進士及第」は殿試の一甲の称号で、羅洪先は嘉靖八年の状元です。のちに官を辞して理学に専念し、王陽明の心学の流れで知られました。序の中で自分が「捐厥職,訪道學者」と言っているのは、史書にある彼が官を辞して学問を講じた経歴と合っています。ただし、この序文が後の人が羅洪先の名を借りて書いたものかどうかについては、研究者の間で見方が分かれています。そういう議論があることを知っておけば十分です。

✎ メモ
底本原文(ウィキソース、一部簡体字)
嘗聞命之理微,鮮有知之真而順受之者,余謂功名富貴,有命存焉,遂捐厥職,訪道學者,以為之宗,行抵華山下,詢知希夷公,曾得道於茲矣。因陟其巔,謁其祠,將返,見一道者,年須弱冠,態度老誠,遂進禮。 承出書示予,予問之,曰︰「希夷公紫微斗數集也。」始觀排列星辰,猶不省其奧窔,既讀其論,論則有道理。玩其斷,斷則有神,即以賤降試之,果毫髮不爽。於是喟然歎曰︰「造化至玄而闡明之,若對鑑焉。 非心涵造化,能之乎?星辰至遠,而指視之若運掌,然非胸藏星斗者,能之乎?天位乎上,地位乎下,而人則藐然於中者,先生則以天合之人,人合之天,即星辰之變化,而知人命之休咎,是非學貫天人,而一之者,又孰能之乎?猗歟休哉!先生真高人也,神人也,不然胡為乎而有是高志!又胡為乎而有是神數也!」予乃捧持之,遍示天下,俾世之人,知有命而順受之可也。 胡乃祖作之,而子秘之,則繼述之道安在哉?請志予言,以弁是書之首。時陳子去希夷公,一十八代,諱道號「了然」,年方二十有六。 時嘉靖庚戌春三月既望之吉 賜進士及第吉水羅洪先撰

よくある質問

『紫微斗数全書』の羅序は誰が書いたのですか?

序の末尾には「賜進士及第吉水羅洪先撰」と署名があり、日付は嘉靖庚戌の年(1550年)三月既望、つまり三月十六日です。羅洪先は江西の吉水の人で、明の嘉靖八年の状元です。

羅序は紫微斗数がどこから来たと言っていますか?

序文によると、羅洪先が華山に道を訪ねたとき、一人の道士が「希夷公紫微斗數集」を取り出しました。この道士は陳希夷の十八代目の子孫で、道号を了然といいます。そのため全書は陳希夷(陳摶)が伝えたものとされています。

「知有命而順受之」とはどういう意味ですか?

羅序で出版の意図を述べた一句です。この書を天下の人に公開し、世の人に、人には定まった命があることを知らせ、しかもそれに従って受け入れさせたい、という意味です。これは羅洪先自身が官を辞して道を訪ねた理由でもあります。彼は功名富貴にはすべて命があると考えていました。

この篇に出てくる主星

紫微星
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